記念演奏・講演

数々の賞を取られている白山中学の吹奏楽部の皆さんです、レベルの高さに驚かされ、明日を担う皆さんの演奏に感動させられました。

国際ボランティア大使(国連)の中田武仁氏による「21世紀の幕明けは、ボランティア国際年」
のご講演を頂きました。ロータリアンとしてまた人間としての生きかたについて、大変示唆に富むお話をお聞きすることが出来感謝しています。
記念式典

東大阪東RCと友好クラブ締結をさせて頂きました。これからもどうぞよろしく。
他に、「公益信託 中田厚仁記念基金」への寄付、ロータリー財団マッチンググラントへの参加、白山中学吹奏楽部の支援を記念事業とさせて頂きました。
祝宴


盛大に楽しい祝宴を開催いたしました、特に遠方よりお出で頂いた東大阪東RCの方々には改めて感謝いたします。
会長あいさつ 譲原 彰会長
創立25周年記念式典を兼ねた例会は、2005年4月10日午後3時30分、記念すべき2425回目の点鐘で始まりました。¥()
本日、小田原中ロータリークラブの創立25周年記念式典を開催いたしましたところ、ご多忙にも拘わらず、小田原市長・小澤良明様代理市橋助役様、小田原商工会議所会頭・原義明様をはじめ、御来賓の皆様、並びに国際ロータリー第2780地区松宮剛ガバナー他多数の先輩ロータリアン、歴代ガバナー補佐および分区代理の皆様、第9グループ内各ロータリークラブの会長・幹事各位、また遠方より、東大阪東ロータリークラブの皆様にご臨席を賜り衷心より厚く御礼申し上げる次第でございます。
小田原中ロータリークラブは小田原ロータリークラブをスポンサークラブとして、1980年4月17日創立総会、同年6月29日大井町第一生命本社におきまして、当時の国際ロータリー第259地区・伊藤茂ガバナー、高橋謙作特別代表、蓑島清夫地区拡大委員長、男澤正治初代会長のもと、32名の創立会員をもって発足し、国際ロータリーの仲間入りをいたしました。以来今日まで「ロータリー精神」の普及と「理想のクラブ像」の実現「小田原中ロータリークラブらしさ」の追求に歴代会長の許、会員一丸となって力を注いでまいりました。最近の厳しい国内経済の影響などにより、会員数の減少が進んでおりますが、現在会員数54名・平均年齢59歳となっております。
本年度は、国際ロータリー創立100周年の記念すべき年であり、「ロータリーを祝おう」をテーマとしております。私たちは、多年にもわたる奉仕活動をとおして、自然災害とポリオをはじめとする恐ろしい病気や残忍な紛争による貧困に取り巻かれた世界の中で、私たちの奉仕活動がいかに必要とされているかの重大さを知らされました。私たちロータリアンは、よりグローバルな視点に立ち、ロータリーの基本である職業倫理を高め、より幅広い奉仕活動を行うことが求められております。皆様とともに、ロータリークラブの重要性を再認識し、過去の成功例に満足せず困難へ挑戦する勇気をもってロータリー創立100周年および小田原中ロータリークラブ創立25周年を祝いたいと思います。
此度、創立25周年記念事業の一環として、当クラブとしては創立40周年を迎えられた東大阪東ロータリークラブと初めて友好クラブ締結の運びとなりました。この締結が双方にとりさらなる飛躍と発展をもたらすことを期待しており、息の永い交流をはかっていきたいと考えております。また、国際奉仕プロジェクトのひとつブラジル・サンパウロ職業訓練学校への備品の援助のための財団マッチンググラントに参加をいたしました。ささやかではありますが、教育的向上支援の一助になれば幸いと思っています。
終わりにあたり、小田原中ロータリークラブの会員一人一人が奉仕の実践を通じて、地域社会に必要とされるロータリアンになるよう精進を重ねていくことをお誓い申し上げ、本日ご臨席を賜りましたご来賓の皆様、先輩ロータリアンの皆様に、これまで以上のご指導とご鞭撻を賜りますよう、高い席からではございますが衷心よりお願い申し上げ、挨拶とさせていただきます。本日はありがとうございました。
記念講演「21世紀の幕明けはボランティア国際年」(要約)
国連・国際ボランティア名誉大使
東大阪東RC名誉会員
中田 武仁様
本日は、小田原中ロータリークラブの創立25周年記念式典にお招き頂き、光栄に存じます。私の息子の厚仁は、カンボジアで国連ボランティアとして活動中の1993年(平成5年)4月8日、現地で25歳3ヵ月の短い生涯を終えました。厚仁を失ってから今日まで、日本をはじめ世界各地の多くの皆様からあたたかい励ましのお言葉を頂き、とても力づけられました。改めて、心から厚く御礼申し上げます。
私の仕事の関係で、1976年(昭和51年)から家族全員でポーランドで生活することになりました。当時はあらゆる面で物資不足で、決して豊かではありませんでしたが、そこで見たり聞いたりした様々なことは、人間として大切なものばかりだったような気がしています。キュリー夫人、ショパン、コペルニクス、ザメンホフ(エスペラント語の考案者)など、人類の文化に貢献した有名人がポーランドから生まれています。
翌年11月、私達家族は同じ国内のクラコフという街を旅行しました。度々の戦禍から立ち直り、街全体が世界遺産に登録されています。私は、人間がすぐれた知恵を結集して勇気をもって平和を守り、先人から受け継いだ文化財を守りぬいた素晴らしさをこのクラコフで見つけました。この街からさほど遠くない所にアウシュビッツがあります。ヒトラーによってなされた史実は皆様方ご存知のとおりです。この対照的な街を見た厚仁は心の中に何かが芽生えたようでした。「どうしたら人間同士のいさかいがなくなるだろう」と、何度も何度も私に問いかけてきました。小学校6年の時の卒業の寄せ書きには、将来は国連の大使になりたいと書いています。厚仁が中学1年の時に日本に帰ってきましたが、帰国子女という壁のために日に日に人が変わっていくのをみかねた私は、もう一度外国で学ぶ事を勧めました。1992年春のある日、厚仁は「国際ボランティアとして、カンボジアでの平和で民主的な国を作る仕事に力を尽したい」と申し出ました。
ところで、ボランティアを日本語に置き換えても、うまい言葉がみつかりません。これは、ボランティアを支える3つの重要な柱、大切な心というものが私達の社会では薄かったのではないかと思います。
3つの柱のその①は「自主性」です。自分で考え、自分で判断し、時には危険を承知で自らの責任において行動することです。他の人がやっているから仕方なく…とか人から言われたから…とかではボランティアとはいえません。その②は「損得だけで考えてはいけないものが、この世の中にあるということに気づくこと」だと思います。経済活動を豊かにすることはとても重要なことですが、それには損得の見方、理にかなった打算は不可欠です。しかし、ものの全てを損得だけで考えると人間のもつ一番尊い崇高な部分が理解できなくなり、物欲の固まりのような人間になってしまいます。私は、人間がそんなにも卑しいものだとは思いたくないし、思ってもいません。その③は「福祉の心」ではないでしょうか。人の痛みを自分のものとして分かち合い、力の及ばない人には手をさしのべて、生きている喜びを一緒に味わおうとする心だと思います。
ユニセフが発刊している冊子『国々の前進』には「国々の前進が、軍事力や経済力だけでなく、いわく不利な立場にある人々に対する備えや子供の心身の発育に対する保護などによって判断される日がやってくる」とありますが、その日をじっと待っているのではなく、世界中の人達が手に手をとって頑張って行動しています。こういうなかで、私達は今までの考え方や生き方のままでいいのでしょうか。
私達の社会は、良き市民で支えられています。良き市民とは、日々の生活の中で①どんな人の中にも人間としての尊厳を見い出し、尊び、その気持ちを形にして表わすこと。②皆んなで決めたことは皆んなで守ること。③どんな人に対しても過不足のない関心をはらって心配りをすること。この3つのことをする人が良き市民であると信じています。ノーベル平和賞を受けた国連のアナン事務総長は、その演説を「ボランティアこそが最も良き世界市民である」という言葉で締めくくりました。
今、国連は全ての世代のための社会を訴えかけています。国際社会は、全ての人々に平等な機会と人間らしい生活を与えることで、安全で公正で自由で調和のとれた社会を作りあげることを可能にしなければなりません。私達の社会は、国連がめざす国際社会を作り上げることに貢献しなければならないのです。私は、今こそ、ボランティアを支える重要な3つの柱、大切な心を一人一人の胸に問いかけてみる時にあるのではないかと強く思います。
カンボジアが長い戦争に終止符を打ち、暴力によらず自分たちの手で立ち上がろうと国連に協力を依頼し、厚仁はこれに参加することを強く望みました。その心の中には、子供の頃に見たアウシュビッツの史実と、留学中に“君は必要とされている”と言われたことが強く影響していました。世界市民の一人として今の自分は何をなすべきか、何ができるのか――強い意思を貫き、一人で異国へ旅立ちました。1992年7月7日、七夕の朝のことでした。
厚仁が命尽き果てた地は、今ではナカダアツヒト村と名付けられ、政府の正式許可も受けて地図にもその名が記されています。 私達は今、人の命を尊いとすることに何のためらいも感じませんが、逆に、自分の命だけが尊いという気持ちになっていないでしょうか。
私は、国連から「国際ボランティア名誉大使」を任命されました。世界の多くの地で金銭の見返りを求めることなく、精神的にも肉体的にも激しい消耗に耐えながら献身的な努力をされているボランティアの方達を、力を尽くして支えたいと思っています。「誰かがやらなくてはならない時は、僕はその誰かになりたい」といった息子の精神を、私の残された人生に活かしていきたいと思います。「21世紀の幕明けをボランティアの国際年としよう」という私の呼びかけを受け、第52回国連総会で「21世紀の幕明けを国際年とする」と高らかに宣言されました。
謙そんは美しき姿ですが、一人の人間のできることを過少評価しないでください。そして、どうかこの言葉を忘れないでください。
「私達は、皆んな必要とされている人達なのです」
ごあいさつ
東大阪東ロータリークラブ会長
溝畑 正信様
この春爛漫の、世の中の総てが大きく躍動する季節に、小田原中ロータリークラブが創立25周年を迎えられましたこと誠におめでとうございます。しかも本年は国際ロータリーも丁度100周年を迎えました。この100周年の記念すべき時に貴クラブが25周年を迎えられること、本当におめでたく心からお祝い申し上げます。
私達、東大阪東RCは今年度40周年を迎えました。先日、3月19日の記念式典には小田原中RCから譲原会長、金子25周年記念実行委員長はじめ7名の皆さんにご臨席を賜りましたこと誠に有難うございました。
さて、グレン・E・エステスRI会長の100周年にあたっての強調事項に双子クラブ・プログラムがありますが、この度、小田原中RCと東大阪東RCがそれぞれお互いの周年記念事業として、友好クラブ締結の運びとなりましたことは誠に喜ばしく厚く御礼申し上げます。
私達のクラブは、海外とは姉妹提携クラブとして、ブラジル・リベルダーデRCとタイ・ヤンナワRCがあり、また、今期新たにアメリカ・ニュージャージー州・ニューアークRCと韓国・麗水麗川RCと姉妹クラブ提携調印致しました。これまで姉妹或いは友好クラブ提携は海外としか思っていなかったものが、気軽に往き来できる日本国内のクラブと提携できるとは何と素晴らしい事でしょう。
そもそものきっかけは、バスチャン・カール君が青少年交換留学生として小田原中RCにお世話になり、前年度並びに今年度米山奨学生として当東大阪東RCがお世話したのが縁で、昨年のRI2004年世界大会(関西)の折、貴クラブのメンバーと私達のクラブのメンバーが交流を持ちました。話をしているうちに様々な共通点があることが分かりました。〓バナーが両クラブとも梅の花をあしらっていること〓例会場が小田原中RCは二宮神社、東大阪東RCのメンバーに枚岡神社宮司がいて時々移動例会を神社で開催すること〓小田原中RC譲原会長、金子周年実行委員長、東大阪東RC溝畑会長、表周年実行委員長はそれぞれ以前の幹事、会長の間柄だったこと、〓さらに、正月の箱根駅伝と東大阪花園のラグビーがテレビで全国放映されること、等々です。今後両クラブが益々交流を深め、また発展して共同の奉仕プロジェクトが出来れば素晴らしい事と思います。
“ロータリーを祝って”今後ともよろしくお願い申し上げまして、お祝いのご挨拶とさせて頂きます。
次年度当クラブは25周年を迎えます、そこで25周年記念実行委員会のメンバーが決定されました。
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実行委員長 金子 義明
副実行委員長 小林 泉
事務局 西山文男 上野宏文 木村悦子
総務委員会 池田宏行 瀬戸啓司
式典委員会 古屋正義 川田隆志
祝賀委員会 釼持久資 内田治光
事業委員会 露木英治 井島誠行
記念誌委員会 田口和久 吉田 孝
総務委員会
総予算の立案と決算
来賓人選と総出席者数選定
招待状の印刷と発注
各委員会との連絡調整
式典委員会
式典会場設営に関すること
式典プログラム作成
式典実施運営
招待客の受け付け接待
その他式典に関すること
祝賀委員会
パティーの立案とお実施運営
パーティー予算立案と執行
その他祝賀に関すること
事業委員会
記念事業の立案と実施
記念事業予算立案と執行
記念事業の広報
その他記念事業に関すること
記念誌委員会
記念誌の編集印刷発行
発行予算立案と執行
贈呈配布に関すること
その他記念誌に関すること
事務局
各委員会との連絡調整
総括業務