卓話「徳川慶喜公の散歩道」 郷土資料研究家 奥津弘高様
“最後の将軍”15代徳川慶喜が存命中に国府津に滞在していたらしいという情報を耳にしていたのですが、千葉県松戸市が刊行した『市政施行55周年記念徳川慶喜展図録』の巻末に「慶喜が国府津滞在中に記した日誌」が見開きで掲載されていました。何とかその資料を入手して町おこしに使いたいと思い松戸市へ足を運ぶとともに、慶喜より4代目にあたる慶朝氏より快諾を受け、他の資料も一緒に提供して頂きました。慶喜の滞在日誌は小さいので他の資料の間に隠れていたらしく、発見されたのは平成になってからで約90年もの間そのままになっていたのです。
滞在していた所は、幕末の戊辰戦争で榎本武揚や土方歳三らと共に戦って名をはせた大鳥圭介の別荘ですが、東海道新幹線の南側で国府津の岡地区にありました。明治44年12月から明治45年(大正元年)4月までの4ヶ月間ですが、家督を譲り隠居していた75歳の慶喜は喘息の持病のため避寒が目的だったと考えられ、かの渋沢栄一が紹介したものと推測されます。
また、国府津機関区のあった山側には大隈重信の別荘もあったのですが、お互いの“接点”はなかったようです。
慶喜の孫の榊原様が書き記した『徳川慶喜家の子ども部屋』という著書の中に、「春になると慶喜家では必ず“土筆御膳”を食していた」という一文があったので、関係者を頼ってレシピを入手して小田原市内の料理店さんの協力を得ながら“復刻版”を試作してもらいました。榊原様にも試食して頂いたところ好評だったので、町おこしの一環として取り入れてみようと考えました。
2007年は折りしも東海道線(新橋~国府津間)開通120周年・豆相汽船就航120周年・電話開設100周年・大隈別荘建設100周年と、国府津のメモリアルイヤーでした。慶喜が散歩していたコースを歩く「みかんの花と香りを楽しむハイキング」を企画し、イベントとしても日誌に記述された慶喜のグルメ一覧を紹介したりしました。試作した“土筆御膳”は来年の「慶喜滞在100年」を記念して販売する予定ですので、是非味わってみてください。
滞在中の慶喜は地元住民とも親しく、真筆も3枚残されていて国府津の地をとても気に入っていたようで、当時としては貴重なカメラを手にしながら散歩をしていたというようなことも聞いています。明治末期から大正にかけて、慶喜が愛した国府津から小田原にかけては80~100軒の別荘があり、大磯よりも多かったといわれています。山と海に恵まれていたので、医師からの進言による病気療養が目的の大半だったようです。
この大切な自然を子孫に残すことは私達の義務であると考えますし、小田原・国府津には近代日本の隠れた歴史の宝物が多く眠っていると思いますので、それらを掘り起こして後世に伝え遺したいと思っています。

会長あいさつ 関口富夫会長
以前に葉山のロータリークラブが「湘南を結ぶ友情の輪」というテーマのイベントを企画しました。この主旨は、近隣のロータリークラブが協力して社会奉仕を行うというものでした。第1回目は2001年のスタンプラリーで、協賛広告に協力したことによる還付金を小田原市へ助成金として利用して頂きました。続いて第2回目では、1920~40年代のクラッシクカーのパレードが開催され、参加された幾人かのタレントさんと一緒にホテル・スパウザでパーティを行ったことを覚えています。こういう素晴らしい社会奉仕ができるように、また皆様と企画ができるようにしていきたいと思います。
ここで皆様に、当クラブが24回目の米山功労クラブの表彰を受けたことをご報告いたします。またこの場をお借りいたしまして、梅津会員にマルチプル・ポール・ハリス・フェローのピンを、片岡・豊田両会員に米山功労賞を贈呈いたします。
幹事報告 立川公一幹事代行
1.地区より「ハイチ大地震災害支援のお願い」が届いていますが、詳細を2月始めの理事会で決定した後に皆様のご協力をお願いいたします。
2.次週合同例会は集合15時30分、点鐘16時ですのでお間違えのないようにお願いいたします。
3.本日、片桐会計より2009~2010年度本会計収支決算中間報告をして頂きます。