卓話「チャーターメンバーによるお話」
小峯達司会員

小田原で生まれ育った私は、昭和16年に小田原中学校(現小田原高校)へ入学。最後の小田中生でしたが、その年の12月に太平洋戦争が勃発したので学徒動員として借り出され、中学時代は余り良い思い出はありません。その後、水産大学食品製造科へ入学し、卒業後は家業を継いで現在に至っております。生業は漬物業で、主として梅干しを扱っておりますが、この梅干しは、戦争が始まるまでは主として陸海軍や炭坑に納品されていて、土産品や嗜好品として出回ることはありませんでした。
この梅は、漢方薬として遣唐使が持ち帰ったとされ古い歴史があり、染物の色止めにも使われました。また、梅干しは昔から健康食品として重宝がられ、その多くの効用からして「梅はその日の難のがれ」ともいわれるほどです。何かと食育がとりざたされている昨今、庶民に食されてきた梅干しを改めて見直して頂き、健康に留意されてお過ごしください。
このクラブに入会して30年が過ぎましたが、これからもよろしくお願いいたします。
堀内守和会員

私が入会した頃はチャーターメンバーが32名、そのうち“移籍”されてこられた方が9名でした。
このクラブの創立は1979年4月7日なので、ロータリー年度が終わる2ヵ月余前のことでした。従って、設立時の会長・幹事は1年3ヵ月という変則期間を務めて頂いたことになっています。また、皆様ご存知のように、小田原RCの“子クラブ”として作られた経緯からして、設立に係ったメンバーは自分が所属するRCへ戻るのが通例とされているのですが、なぜかこのクラブの会員になられたのです。このようなことからしても、私は今でも、この小田原中RCはとても恵まれていると思っています。
私は現在、父から受け継いだ歯科医を営んでいますが、入会したのが昭和55年4月17日です。以来28年経ちますが、特別代表からチャーターメンバーとして誘われたのは父だったらしいというエピソードも残されています。創立時のことなどについて話す機会を頂けたら幸甚と思いますが、今後ともよろしくお願いいたします。
会長あいさつ 川田隆志会長
GSEのカリフォルニア・グラナダヒルRCとランカスターRCより、それぞれバナーとバッジを頂きましたので回覧させて頂きます。また、東大阪東RCの金子会員より、中国蘇州にある寒山寺の貫主様の書「彼も人なり我も人なり」を頂きました。これには「他人を意識したり互いに張り合ったりすることは度を越してはならないけれど、多少は必要な心構えでもある。大天才といえども所詮は人間、負けてたまるかくらいの気骨は持ちたいものである」という意味が込められているそうですので、これも回覧いたします。遠藤ガバナー補佐より、GSE受入れ事業終了報告と礼状・写真が届いていますので一緒に回します。今回のGSEでは、片岡・堀金両会員にはご苦労をおかけいたしました。この場を借りて御礼申し上げます。なお、東大阪東RCの会報も添えて回しますので、お読みください。
4月3・4日の東大阪東RCへの表敬訪問ではお疲れさまでした。意見交換・質疑応答に始まり、先方の例会に出席させて頂き、会長の卓話では小田原の町を紹介いたしました。終了後、奈良・猿沢池をのぞむ由緒ある料亭で懇親会が催されました。席上、先方の会員で俳句同好会の先生をしている池田南海男様より「遠き友 奈良の桜の宴かな」の句を頂き、御礼として、愚作ながら「枚岡の 友と語らい春爛漫」の句を詠ませて頂きました。翌日は“恒例”のゴルフコンペで更なる親睦を深めた次第です。
双方で今後の継続を確認し合ってまた新たな一歩を踏み出したものと思いますが、43年という長い歴史をもつ東大阪東RCの活動を、私達クラブのこれからの運営に生かしていきたいと思います。ご協力をありがとうございました。
幹事報告 釼持久資幹事
理事会報告
1.「県西地区みんなの集いへ」は、例年にならって楯2つを寄付することが承認されました。
2.伊藤会員より「4月末日までの休会届」が提出され、了承されました。
3.4月3日に内田会員が退院されましたが、5月末日までの休会届」が提出され、了承されました。
4.ゴルフコンペのチャリティー収益金52,000円を、チベットサポートKIKUの代表・久保隆様に寄付することが承認されました。
5.5月の卓話予定が承認されました。
6.次年度役務分担表をお渡しいたしましたので、ご確認ください。
7.箱根RCより、5月18日の地区協議会への参加人数増員の依頼が届いています。
8.城趾公園の時計塔の清掃を5月10日(土)に実施する予定ですのでご協力ください。
9.新しい手続要覧の購入申込みをいたしましたので、届き次第お配りいたします。