卓話「自己紹介」 椎野 武会員
私は、昭和27年3月に小田原市小八幡で生まれました。父は当時の国鉄(現在のJR)熱海電力区に勤務していまして、5人兄弟のうち3人が国鉄職員でした。その父も、私が中学1年の時に36歳という若さで脳出血のために急死。昭和39年4月のことでした。私と弟と妹は取り残されてしまいましたが、父の同僚が発起人となって私達の遺児教育資金募集を呼びかけてくれていたことが、3年ほど前に書類を整理していて分かりました。熱海から東京、千葉、熊谷、軽井沢までの88事業所890名からの賛同を得、計86,570円が集まったことが記されていたのです。母の礼状に綴じられた芳名帳はB4で7枚とB5で1枚におよび、金額も一人50円から300円となっていて当時(昭和39年9月)の生活物価がうかがえます。現在では約10倍の金額ではなかろうかと想像されます。母も亡くなり、詳しいことは分かりませんが、今の世の中、こういったことができるかどうか、いささか疑問に感じます。自分でいうのもおこがましいのですが、父の人望とこの計画に協力して頂いた多くの方々の思いやりに改めて感謝いたします。これからはロータリアンとして、その時の恩返しのつもりで、米山や財団への寄付に協力させて頂きます。
その後、縁がありまして昭和45年から小田原第一信用組合にお世話になっていて37年になりますが、平成元年5月31日、当クラブの元会員だった野中専務(当時)から突然に「明日から南足柄支店長を頼む」と言われた時は驚きました。命令に従って赴きましたが、業績の上がらないうえに、右も左も分からない所でしたので辛い日々が続きました。土日出勤も実行しましたが一向に業績は伸びず、一時は支店長を辞職することも考えました。やがて、辛抱のかいあってか、野中さんにも認めてもらうようになりましたが、それからは、鴨宮支店長、本店長を経て本部総務部へ異動となりました。
その後も野中さんにはお世話になりっ放しで、何の恩返しもできないままになってしまったことが心のこりです。野中さんが体調を悪くして入院してからも業務指示を受け、また突然に専務の任命を受けることになってしまいました。これも何かの縁と命令を受けることにいたしましたが、原澤さんを迎えることができてほっとした矢先に訃報が届きました。野中さんと出会うことがなかったら今日の私はないと思います。
こうした、野中さんをはじめとする諸先輩方が築かれた小田原第一信用組合の堅実経営を、これからも引き続いて守り、業績向上に微力ではありますが貢献できるようになりたいと考えています。また、当クラブに入会させて頂いて幾日も経ちませんが、人生の大先輩方から御指導を賜りたいと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
会長あいさつ 石原和夫会長
昨日は秋篠宮妃紀子様が、皇室では41年ぶりに男子をご出産され、宮中はもとより日本全国が喜びに包まれました。3人目のお子様で、これがきっかけになって、少子化に少しでも歯止めがかかることを祈っています。
私は仕事柄、税務調査に携わることが多く、今日は役員報酬について少し話をさせて頂きます。役員報酬の決め方には「実質基準」と「形式基準」の2つがあり、実質基準とは㈰職務の内容と社会への貢献度㈪社員の給与額㈫同規模会社との比較などについての項目を審査するものです。形式基準とは、定款や株主総会での決定額と照合するものです。
また、会社法が改正され「新会社法」が施行、以前より一層細かくなりました。会社に戻られましたらもう一度見直して頂くとともに、自社の議事録や定款などを読み直してください。
幹事報告 井島誠行幹事
理事会報告をいたします。
1.昨年、東大阪東RCより提案があったカンボジアの中田厚仁村の小学校にシャワールームを建設する計画に協力いたしました。その後、生徒数の増加などによって教室を増設しなくてはならなくなったとのことですので、本年度も1人当たり1,000円の寄付をお願いすることが承認されました。
2.先週の例会で、9月2日のガバナー補佐会議においてIMについて審議決定されると申し上げましたが、その時点でも開催については決定されませんでした。しかし、開催される可能性が多分に考えられますので、ホストクラブとして実行委員会を設置し片岡会員を委員長に、池田会員を副委員長に任命させて頂きました。
3.3月29日に予定されている東大阪東RC来訪については、当日は親睦活動委員会が中心となって運営することになると思いますが、その間の連絡担当者として川田会員と田中(秀)会員が選出されました。
4.10月の卓話予定が承認されました。