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2006年03月16日

 第1254回例会

卓話「自己紹介」  

原 久起会員 
 1947年(昭和22年)に市内小八幡で生まれました。1958年(昭和33年)に小田原信用金庫(現さがみ信用金庫)に入庫、片桐会員にもお世話になりました。途中、小田原セレモニーホールより要職への依頼があり、保留はしたものの結果的にはお引き受けすることにいたしました。葬儀に携わる仕事についた初めの頃は、夜中に届くFAXでした。私には96歳になる母がいますので、電子音が鳴るたびに「もしや…」と驚かされたものですが、ようやく慣れました。現在、小田原には個人営業も含めて17軒くらいの葬儀社があります。年間死亡率をみますと、全国的にはその市町村の約10%ですが、小田原市の場合は13〜14%くらいになっています。大手会社の場合は、病院との連絡・営業・催行など全てが分担制ですが、弊社は一人で全てを受け持つ関係上、当番制にしています。
 葬儀は誰でも通らなければならないセレモニーですので、故人に対する敬う心・ご遺族を癒やし労る心・会葬者へのもてなしの心という「3つの心」でとり行うことを社員に言いきかせています。葬儀は、本来ならば故人の家で行うもので、私どもはあくまで代行者ですから、ご遺族の立場に立って会葬者をもてなさなくてはならないと思います。生あるものは死する——これはいつの世でも運命ですが、日々健康に注意されて楽しく充実した一日を過ごして頂き、お互い一日一年でも長く生きましょう。
 最後になりますが、小田原中RCに入会させて頂きましたこと、改めて感謝いたします。

伊藤恵孝会員 
 1946年(昭和21年)に大磯町で生まれました。幼少の頃は色白でしたが、体が弱かったようで、小学2年のときは丸1年間休学したこともあったほどです。
 今までの私の人生で、大きな転機が2回ありました。一つは小学6年のときです。母が亡くなって貧困に陥り、父親からは中学を卒業したら働くようにいわれました。精神的にショックを受け、荒れた生活を送るようになりましたが、中学の担任の先生の強い説得に父親も折れ、平塚農業高校食品化学科に入学いたしました。同校では古屋会員の後輩になるようで、私は3年間バスケットボールに熱中しました。当時のことは、今でも鮮明に思い出します。
 もう一つは、妻との出会いから結婚に至ったことです。結婚したのは38歳のときですが、今まで感謝の連続で、本当によかったと思っています。
 では、私の性格について一応お知らせしておきます。妻にもよくいわれますが、とても短気です。でも最近では“熟年離婚”をおそれて、人間的にだいぶ丸くなってきたと思います。そして、自分でいうのもおかしいのですが、物事に対しては真面目に取り組む方だと思っています。一人で過ごしていたのが長いせいか、人との付き合いもあまりうまい方ではありませんし、ましてやこのように人前で話すことはとても苦手です。
 このような私ですが、徐々に理解して頂きまして、当クラブへの入会を縁に、今後ともよろしくご指導をお願い申しあげる次第です。

会長あいさつ 池田宏行会長 
 第9グループの次年度ガバナー補佐については、10日に行われた会長幹事会でも進展が見られず、現在の河野ガバナー補佐に“預ける”という結果になりました。地区役員についても未定が多く、空転しているようです。

幹事報告 豊田 靖幹事
1.過日の会長幹事会の内容についてご報告いたします。イ)GSE受入れの最終確認がされました。ロ)2006年〜07年度の青少年交換については、派遣者9名・受入れ者9名です。ハ)2008年〜09年度地区ガバナーノミニーとして、足柄RCの山地会員が立候補することになり、同クラブの会長より挨拶がありました。ニ)次年度の地区役員組織について、河野ガバナー補佐より協力要請されましたが、地区の現状を報告して頂くことになりました。ホ)2780地区拡大増強に関連して、県央に新しいRC(名称・紫小ロータリークラブ)が誕生することになりました。ヘ)IMについての御礼挨拶と会計報告がなされました。予算を超過したようですが、小田原城北RCの一般会計予算より充当するそうです。

Posted by Tachikawa at 2006年03月16日 10:57
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