会長あいさつ 田中秀明会長
中山会員の手術は成功し、その後の経過は順調とのことです。また、望月会員よりバザーへの協力に対してお礼状が届いています。次次年度会長ノミニーの立候補受付けをいたしましたが、期日を過ぎても届出がございませんので、指名委員会を設置して検討させて頂きます。よろしくお願いいたします。
幹事報告 川口功一幹事
本年度は、能面師の高津紘一様を優良職業人として表彰させて頂きました。
[理事会報告]理事会で、次の事項が承認されました。
1.12月18日開催の「家族親睦会」の件
2.中山会員より提出されました「出席免除」の件
3.次次年度会長ノミニー指名委員会設置の件
4.次年度の25周年記念事業実行委員委嘱の件
5.新年会開催の件(1月8日、於・河鹿荘)
6.神静民報新年号への広告掲載の件
7.京都方面への親睦旅行に梁淑萍さんを同行するにあたって、会計より費用補助の件
8.会費の4回分割納入認可の件
9.セブ・マボロRCへのゴミ収集車寄贈見送りの件
10.新会員の入会先送りの件
卓話 「会員自己紹介」
辻 秀志会員―――――――――
私は昭和15年に地元小田原で生まれ、大乗寺の横あたりに住んでいました。当クラブに入会する以前から田中会長や川田会員、堀内会員とは面識があり、親しくして頂いております。今ではすっかり開けた川東地区にある小田原郵便局の裏に15年前に引越し、現在は、ロータリー的にいえば“3つの奉仕”をしています。1つは「家族への奉仕」でしょうか。子供は娘一人で、東京の江東区で暮らしていますが、最近孫が生まれて「おじいさん」になりました。住環境が悪いせいか、小児ぜんそくで苦労しているようですので、心配です。どなたか良い改善策を教えてください。2つめの奉仕は「趣味」の面です。小田原高校2年の時に硬式庭球(テニス)部に入って以来、今まで“継続は力なり”をモットーに40数年続けてきたお陰で、多少は楽しめるようになりました。小田高テニス部の仲間と一緒に、35年前に八幡山ローンテニスクラブを結成、さらに小田原テニス協会を組織して今まで8年間、会長を任されて参りました。3つめは、コンサルタントという「職業の奉仕」です。中小企業の為に役立ちたいという思いがあり、8年前に56歳で早期退職いたしました。中小企業診断士と技術士の資格を生かしてコンサルタントを始め、台湾、フィリピン、中国、韓国、果てはメキシコと精力的に飛び回りました。国内では中小企業センターの一員として、また小田原市総合計画の産業部門の委員として奉仕的傾向が強いものに参画しています。
これからは皆様にご指導頂きながら視野を広げ、皆様へのコンサルタント的な職業奉仕もさせて頂きたいと思います。
田中政吉会員―――――――――
入会してまだ1ヵ月ですが、思っていた以上に会場の雰囲気も柔らかく、会員の方々も友好的ですので、うまくやっていけると思って入会させて頂きました。昭和25年12月生まれで、現在53歳です。家の家号と私の名前が一緒ですが、深い関係はありません。幼い頃は自分の名前が嫌いでしが、今では愛着をもっています。私の祖父が商売を始め、私で3代目です。望月会員の宝安寺幼稚園(現在の小田原愛児園)に通園、城内小学校(現在の三の丸小学校)、城山中学校、小田原高校、玉川大学と進みましたが、城山中学での野球、高校での剣道と水泳のクラブ活動は全て2ヵ月でやめました。それぞれ私なりに退部する理由がありましたが、今では笑い話のようなことです。こんな私ですが、昭和48年、私の店の問屋である東京・小伝馬町の某商店に入社いたしました。親としては他人の釜の飯を食わせるつもりだったのでしょうが、丁稚奉公のような感じでした。オイルショックの1年前でしたが、景気は良かったので一日中荷造りの連続でした。学生時代は楽な生活をしていたのでかなりこたえたうえに、猛暑の年でしたのでなおさらです。中山競馬場の近くにあった寮から総武線で通勤していましたが、体調を悪くしてやむを得ず退社して実家に戻った次第です。家業の営業部門を受け持っていましたが、昭和の最後の年に、家の事情で金物業部門を継ぐことになり以来15年、何とか今日までやって来ることができました。
最初に申しあげました気持ちは今でも変わっていませんし、弟の内田会員と共によろしくお願いいたします。