田中秀明会長 会長あいさつ
川口会員が久々に復帰されましたが、入れ替わりに釼持会員が緊急入院されました。一日も早く退院されますように願っています。さて、昨日は58回目の広島原爆記念日でした。式典の模様が何度も報道されましたが、地中にはまだ当時の残骸が埋められているそうです。世界唯一の被爆国民として、またロータリアンとしてこの事実を生涯忘れてはいけないと再認識いたしました。終戦に関する本日の卓話を楽しみにしています。ガバナー月信が送られてきましたので回覧いたします。ご精読ください。
幹事報告 川口功一幹事
[理事会報告]
1.活動計画書の中の慶弔内規(四)〓ハ元会員の項目の「但し、元会員とはかってクラブに在籍した会員を指します。」のあとに次の文章を追加することが決定いたしました。
クラブで奉仕が展開可能な範囲で、会員の在籍期間と同じ期間内とする。
2.家族委員会(物故者、退会者の家族に関する委員会)設置については、親睦委員会の活動の中で実務を行う方針に決まりました。
3.25周年記念事業式典準備委員会はガバナー公式訪問後に発足させる予定ですが、記念誌発行に関しては先行して頂くことをお願いいたします。
4.継続している100円玉募金の使途については、本年度は世界社会奉仕に関するものに目的を限定するように決定いたしました。
5.9月の卓話が承認されました。
6.盲人マラソンに1万円を協賛することが承認されました。
7.川口会員の出席免除(7月14日~8月31日)が承認されました。
8.吉田会員よりアメリカでのメークアップの報告が届いていますので、回覧させて頂きます。
卓話「終戦秘話」 篠田民雄様(梅津忠雄会員ご友人)
私の戦争体験をお話させて頂きますが、配布いたしましたパンフレットを見ながらお聞きください。ところで皆さんは、終戦後も日本の領土内で戦争が続いていたことをご存知ですか?私達の部隊は満州から占守島に移駐させられましたが、満州を出たのが昭和19年2月、占守島に到着したのが同年4月でした。余り聞きなれない地名ですが、占守島は北海道の東北に連なる千島列島の最北端に位置し、根室の東北約1,200〓にある、東西20〓南北30〓余りの小さな島です。数倍の米軍を想定し、強靭・執拗な戦闘を挑むべく、陸海軍合わせて25,000名の配備を行っていましたが、やがて兵士も1万人弱となり、アメリカの空爆を受けながら敵の上陸に備えていました。占守島の電波状態は極めて悪く、8月15日の天皇陛下の終戦の詔勅を聞くことはできず、翌16日に終戦が伝えられました。17日から日本軍は武装解除の準備に取りかかっていました。戦車部隊でも車載銃砲や無線機の取り外し、爆砕と車両の海没の準備まで進めていました。しかし、終戦3日目の8月18日未明、米軍ではなくなんとソ連軍が強襲上陸をしてきました。長射程重砲の砲撃が始まり、監視所からも「海上にエンジン音聞ゆ」と至急の連絡も入ってきました。島一面が濃霧に包まれた中、急いで戦闘配備を整えました。激しい戦闘が展開されましたが、日本軍はソ連軍を圧迫し海岸付近にくぎづけして一歩も内陸に前進させず、一挙に殲滅する体制を整えました。敵の攻撃が続く中、「戦闘を停止し、自衛戦闘に移行すべし」との方面軍命令に従い、軍使派遣、停戦交渉と進め、8月21日に漸く戦いは終わり、武装解除が23・24に行われ、ソ連軍の南下は24日になりました。この激闘での日本軍の死傷者は1,000人近いと伝えられています。
ソ連が日本のポツダム宣言受諾、降伏を知りながら侵入してきた不法行為に対して、今でも憤りはおさえられません。終戦3日後に戦って逝った占守島の若者たちのご冥福を祈るとともに、彼らのことを決して忘れることはできません。同時に、戦争は絶対にしてはいけないという信念をさらに強くいたしました。身をもって体験した戦争の悲惨さ、無意味であることを、戦争を知らない世代へ伝えなくてはいけません。事実を隠すことなく絶対に風化させてはいけないと思います。そのようにするのが私達の役目だと心に決めています。